景観を保護するということ=異質なるものを排除するということ

騒音・日照の問題ではなく、景観を享受する権利のみを純粋に保護しようとすることは私的財産権の制限を不可避的に伴う。なるほど、「環境権」なる概念を憲法上用意してみたところで、結局は権利間の複雑な調整を行うプロセスを省略できないのであって、それは何ら切れ味の鋭い切り札なり問題解決策になりようがないということがよくわかる。

楳図かずおさん宅、外観異様と近隣住民が建築差し止め申請
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070801i513.htm
 「まことちゃん」などの作品で知られる漫画家の楳図(うめず)かずおさん(70)が、東京都武蔵野市内に建築中の自宅を巡り、近隣住民2人が「異様な外観で、閑静な住宅街の景観が破壊される」として、楳図さんと建築会社を相手取り、建築差し止めの仮処分を東京地裁に申し立てていたことが分かった。

 申し立ては先月12日付。

 申立書によると、建築中の自宅は2階建てで、建物の外壁に約60センチ・メートル間隔で赤と白の横じまの塗装を施し、屋根には「まことちゃん」を模したデザインの像が設置される予定という。住民側は「常軌を逸した構造で、そのような不快な建物のそばで暮らすのは苦痛だ」と主張している。

 これに対し、楳図さんの代理人は「コメントできない」としている。
(2007年8月1日21時18分 読売新聞)

楳図かずおさん宅建築差し止めで審尋、双方の主張聞く
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070803i417.htm
 「まことちゃん」などの作品で知られる漫画家の楳図(うめず)かずおさん(70)が東京都内に建築中の自宅を巡り、近隣住民2人が建築差し止めを求めた仮処分の申し立てについて、東京地裁は3日、双方当事者の主張を聞く審尋を開いた。
 楳図さん側の代理人は、「建物の色彩やデザインは、近隣住民のいかなる権利も侵害しない」と主張し、申し立ての却下を求めた。
 審尋は約1時間、非公開で行われた。住民側代理人の長谷川健弁護士によると、楳図さん側は建物の完成予想図を提出。赤と白の横じまのデザインを認めたが、屋根に設置するのは「まことちゃん」の像ではないと主張したという。長谷川弁護士は「屋根に設置されるのは別のキャラクター『マッチョメマン』を模した塔の可能性が高いが、異様な外観に変わりはない」と訴えている。
(2007年8月4日1時16分 読売新聞)

赤と白のストライプは楳図氏のトレードマークでありこのデザインの家を建築するのが長年の夢だという。それを「耐えられない」として差し止めを申請する住民がいる。一方で「別に構わないのでは?」という住民もいる。私の個人的な直観では後者なので、どうもこの問題を、「人よりもセンシティブでナイーブな感覚を持つ人にどれだけ譲ってあげるべきなのか?」と構成したくなってくる。そうすると自衛官合祀訴訟の最高裁判決が思いつく。

「私人相互間において憲法二〇条一項前段及び同条二項によって保障される信教の自由の侵害があり、その態様、程度が社会的に許容し得る限度を超えるときは、場合によっては、私的自治に対する一般的制限規定である民法一条、九〇条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によって、法的保護が図られるべきである…。しかし、人が自己の信仰生活の静謐を他者の宗教上の行為によって害されたとし、そのことに不快の感情を持ち、そのようなことがないよう望むことのあるのは、その心情として当然であるとしても、かかる宗教上の感情を被侵害利益として、直ちに損害賠償を請求し、又は差止めを請求するなどの法的救済を求めることができるとするならば、かえって相手方の信教の自由を妨げる結果となるに至ることは、見易いところである。信教の自由の保障は、何人も自己の信仰と相容れない信仰をもつ者の信仰に基づく行為に対して、それが強制や不利益の付与を伴うことにより自己の信教の自由を妨害するものでない限り寛容であることを要請しているものというべきである。

ウィーンへ行ったとき、芸術家Hundertwasserの美術館へ行ったが、彼のデザインした建物はかなりの奇抜であったにも関わらずとても街になじんでいたように思ったし、また観光地としてたくさんの観光客が訪れていた。
↓写真がきれいなので引用させてもらおう
http://www.geocities.jp/heuriger2005/tourismus/kunsthaus.html
楳図氏の建物はこういう名所のように許容されないのだろうか。あるいはウィーンのこういうデザインの建物だって日本に作ろうとすれば「耐えられない」と言う人は出て来るかもしれないし、ではどのようなデザインの建物なら許容し得るのか?その基準は「センシティブな人の感覚」かあるいは「(裁判官が判断するところの)社会通念なり通常一般人の感覚」か。

テレビを見ると「井の頭公園付近の静謐な住宅街に周囲と調和しない奇抜なデザインの建物を立てること、また話題になってたくさん人が押し掛ける迷惑を考えないのか」だの「諸外国と異なり建物の色などについては日本は規制が進んでない」とかそういう(楳図氏の建物建築に批判的な)コメントが見られる。そうするともうリーガルな問題というより単なる道義的な問題か、あるいは政策的な問題なのかもしれない。

そういえば、国立マンション訴訟の市村判決に非常に印象的なフレーズがある。

景観は,通りすがりの人にとっては一方的に享受するだけの利益にすぎないが,ある特定の景観を構成する主要な要素の一つが建築物である場合,これを構成している空間内に居住する者や建築物を有する者などのその空間の利用者が,その景観を享受するためには,自らがその景観を維持しなければならないという関係に立っている。しかも,このような場合には,その景観を構成する空間の利用者の誰かが,景観を維持するためのルールを守らなければ,当該景観は直ちに破壊される可能性が高く,その景観を構成する空間の利用者全員が相互にその景観を維持・尊重し合う関係に立たない限り,景観の利益は継続的に享受することができないという性質を有している。すなわち,このような場合,景観は,景観を構成する空間を現に利用している者全員が遵守して初めてその維持が可能になるのであって,景観には,景観を構成する空間利用者の共同意識に強く依存せざるを得ないという特質がある。
 …これら本件高さ制限地区の地権者は,大学通りの景観を構成する空間の利用者であり,このような景観に関して,上記の高さ規制を守り,自らの財産権制限を受忍することによって,前記のような大学通りの具体的な景観に対する利益を享受するという互換的利害関係を有していること,一人でも規制に反する者がいると,景観は容易に破壊されてしまうために,規制を受ける者が景観を維持する意欲を失い,景観破壊が促進される結果を生じ易く,規制を受ける者の景観に対する利益を十分に保護しなければ,景観の維持という公益目的の達成自体が困難になるというべきであることなどを考慮すると,本件建築条例及び建築基準法68条の2は,大学通りという特定の景観の維持を図るという公益目的を実現するとともに,本件建築条例によって直接規制を受ける対象者である高さ制限地区地権者の,前記のような内容の大学通りという特定の景観を享受する利益については,個々人の個別的利益としても保護すべきものとする趣旨を含むものと解すべきである。

これは行政訴訟であるからして民事差し止めとは異なるけれども、景観が共同意識により支えられるということが言われている。逆に言うと、その「共同意識」は異質なるものを排除する力を持つということだ。別にそのことに対するネガティブな評価を表明したかったというわけでも、また深いリサーチをしたわけではないので本件で裁判所がどう判断するかという法律的コメントをしたつもりもないが、街づくりなり環境・景観の保護なり言うときの裏面を見た気がした、というただそれだけの話である。