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「書けない・書けない」と泡を吹いていた段階から「書ける・書けそう」とややマシな段階へシフト。悩みの根源は、自分の能力の限界を直視することの怖さから来ているのだろう。そんなとき発見した↓これはすごい

1文字5円、卒論に代行業者…大学は「見つけたら除籍」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070818i111.htm

大学の卒業論文やリポートの執筆を有料で請け負う代行業者が登場し、波紋を広げている。

 学生がインターネット上で見つけた資料をリポートなどに引き写す「コピー&ペースト」が教育現場で問題となっているが、これを上回る究極の「丸投げ」で、文部科学省は「事実とすれば、到底認められない行為」としている。

 ネット検索大手のグーグルも、「こうした代行は不正行為にあたる」と判断、代行業者のネット上の広告掲載を禁止する措置に踏み切った。

 「国立大の学生・院生を中心としたチームなので安心の品質」「6年で740件の代行実績」。ある代行業者のホームページ(HP)には、そんなうたい文句が並ぶ。別の業者のHPは「社員は学生時代に必要最低限の勉強量で優やAを取ってきた精鋭ぞろい」とアピールしている。

 料金は1文字5円程度。納期は卒論で1週間以上、リポートでは2、3日以上が多い。テーマや内容、分量、納期などを指定のメールアドレスに送り、その後のやりとりで合意すると正式契約となる仕組みだ。こうした業者のHPはネット上で少なくとも三つ確認されたが、個人レベルで請け負っているケースもあると見られる。

 このうち、昨年4月から事業を始めた業者が読売新聞の取材に応じた。これまでに300件近い問い合わせを受け、実際に100件以上を請け負ったという。2万字程度のリポートで10万円、発表会のための個別指導を含む卒論執筆だと35万円からという料金設定にしている。

 事業を取り仕切る20歳代の男性は「もともと大学院の入試対策を有料で行うつもりだったが、依頼の大半は卒論やリポートの代行だった」と明かす。法律関係が依頼の半分近くを占め、文学、経済関係も多い。理系では物理や化学は皆無で、情報科学の依頼が数件ある程度。これまでに、「単位が取得できなかった」「発覚してしまった」という苦情は寄せられていない。

 「卒論を3日で仕上げてくれ」など、安易に代行を頼む学生もいるが、この男性は「依頼者の多くは、教員に放任扱いされ、課題にどう対処すべきか悩んでいる。我々がやっているのは、最後の駆け込み寺のようなもの」と主張している。

 これに対し、この業者のHPをネット上で見つけた京都府立大の川瀬貴也准教授は、今年1月、「あなたたちのしていることは犯罪。即刻やめるべきだ」というメールを送った。「『卒論を代わりに書く』という商売があるとは、とんでもない話。発覚すれば、学生の単位を取り消すどころか除籍処分ものだ」と憤る。

 文部科学省大学振興課も「いかなる理由があろうと、他人に卒論やリポートを書いてもらうことは、常識からも認められない」との見解だ。ただ、大学側からの事例報告などがないため、当面は調査などはせず、様子を見守るという。

 一方、検索大手のグーグルは今年5月、卒論代行業者の広告掲載を禁止した。検索語と関連するウエブサイトが広告として掲載される機能で、今回の禁止措置について、グーグル広報部は「情報提供や執筆のサポートではなく、全部を代行するというのは、不正行為にあたると判断したため」と説明している。
(2007年8月18日16時14分 読売新聞)

代行業者の行為自体がどういう犯罪に当たるのかよくわからんのだが、私文書偽造、てことだろうか(そして依頼者が教唆か共同正犯か)。それはさておき、「代わりに書く」なんて組織的にやったから大学側に発覚したようなもので、それが業者として発展するまでに多数の個人的依頼がありニーズが確認されたからこそ大々的に宣伝を打って募集をしたのだろう。「剽窃」なら教員側にもわかるだろうが、代行執筆では、よほどその教員が学生のことを知っているか、そして口頭試問を経るかでもしないと発覚しようがないのではないか。

しかも記事によると法律関係の依頼が半分近くを占めるという。法科大学院のレポートか笑。しかし一文字5円というのは決して安くはない気がする。1万字なら5万、10万字なら50万、そこが問題の本質ではないとは思うが、自分がそんなに高いお金を払うくらいならまだ自分で駄目駄目レポートを提出した方がましだ。しかし、依頼者側のニーズがどこから来てるのか、「書く時間がもったないから」なのか(依頼者に法科大学院生が含まれているのならば十分あり得る話だ。金を投げても時間を作りたい)、本当に「書けない」からなのか、「書けない」のレベルが「単位が来ないくらいにヤバい」からなのか、「単位が来るであろうレベルのものを書けるには書けるが良いものが書けない」からなのか(もっとも後者の場合「良いものが書けないなら単位を放棄する」くらいまで追いつめられることもある)。

後者の「書けない」悩みに苛まれて随分と経つ。「書く」という作業が孤独な作業であり、自分の能力の限界と否応なしに向き合わねばならないからだろうか。記者時代からそうであったが、自分は「逃避」癖が抜けない。自分の能力が形になってしまい、客観的に評価されることの怖さから来ているのではないかと何となく思っている。

しかし記事中に出てくるような学生はそういう悩みではなくて、「社員は学生時代に必要最低限の勉強量で優やAを取ってきた精鋭ぞろい」とあることからも、何かしら「要領がよい」のか、あるいは「自分の能力に限界があるということを既に直視し、しかも諦めきっている」(格差と諦め)ということなのではないか。

そういえばAERA2007年8月6日号に
「ユルい中高一貫出身が増殖する 官僚、企業で中枢を占め始めた/大橋未歩寺脇研らが語る」
とかいう記事が載っていた。中高一貫に通っていると「要領がよくなる」と。「周囲ができる人ばかりだから、それを役立てる人間関係づくりは得意」だの、「失敗経験がないからなんでもできる、どうにかなる、みたいな全能感がある」だの、そういう「ユルい」中高一貫卒が有名大学に難なく合格し「官僚、企業で中枢を占め始めた」と、そういう趣旨の記事であったか。(同じく中高一貫卒の自分から見ると、当てはまる部分もあればそうでない部分もあるのだが所詮AERA記事。)

自分にはどうも論文代行執筆も大学に入学した時からキャンパスにあふれていた「要領のよさ」の一側面にしか見えない。そしてそれは、本当に「書けない」と思い悩む人の悩みを解決しない。

逃げてはいけない、そして認識しなければならない、そして向き合い努力しなければならない。安易に言ってしまえばそういうことなのだろう。