逃避の果てに・ある光

田中亘「ブルドックソース事件の法的検討」 商事法務1809,1810 がとても面白い。

「また本件を通じて、日ごろは会社法の事件をそれほど取り扱っているわけではない裁判所(しかも上級審にいけばいくほどそうなる)が、きわめて短期間のうちに防衛策の適否について判断を求められるという、我が国の買収法制の形成プロセスの限界も垣間みえたように思われる」
敵対的買収をめぐる法律論には、政策論議が欠かせない。裁判所が間違った政策論を語るのはもちろん困るが、さりとてそうした政策論を抜きにして、裁判所が淡々と「法解釈」を語り、法律家はその「射程」を検討するといった営みだけで、よりよい世の中が実現することも考えにくい。本稿は…判例評釈のセオリーには反するのであろうが、筆者としては、政策論議を抜きにしては一事件の評価も満足にできないと考えた結果である。」

私は、「法曹は解釈はできても政策はできない」という意見には反対なので、(指導担当の某せんせからいただいた)「法の再構築1 国家と社会」に収録されとる中東せんせの見解にはにわかに同意できないけれども、ブルドック高裁決定には考えさせられた。そして田中せんせの政策論議的評釈。興味深く思うのと同時に、法律家の役割につき考えさせられる。

(追記)
私が前回引用した田中亘せんせの論文、磯崎せんせが既に引用してコメントされてました><

市場経済」と「法律学者」
http://www.tez.com/blog/archives/001000.html
…商事法務を読んで目頭が熱くなったのは初めてであります。

私、かねがね、法律専門家の方の話を第三者的に聞いていて、「それは解釈論じゃなくて立法論ですよね?」といった議論が展開されるのを非常に奇異に感じていたんです。
それで、「よい世の中が実現する」わけがない。

上述のとおり、今は市場経済を推進すべきフェーズですが、それだからこそまさに、市場メカニズムに巻き込まれず、立法・行政・司法といった三すくみの渦の中にも入っておらず、しかも匿名でもない、「学者の方のしっかりした意見」が非常に重要になるのだと思います。


「よりよい世の中の実現」・・・法律家の役割がこれでなくて何と言えるのでしょう!!