ケータイを買い替えたらテレビがついてきた件

二年半ぶりに携帯を機種変更したところ、驚いたことに、本当にテレビが見れるようになってしまった。今まで家にテレビがないまま過ごしてきたためたいへん新鮮味がある。くだらない番組やCMについ夢中になって時間を拘束されるという欠点はあるが、確かに活字媒体だけでは手に入れることのできない情報が手に入る。例えば菅直人厚労省押し入り、思わず住居侵入罪の成否についての刑法の議論でも展開したくなるが、やはりテレビで見るとインパクトのあるパフォーマンスに映る。政治家たちの討論番組もそうだ。ああいう所へ出て視聴者を引きつける議論ができる人は確かに選挙でも強いだろう。。。あともう一つ、恥ずかしい話であるが、漢字の読み。「伏魔殿」を「ふくまでん」と読むのだと、つい数日前テレビのニュースで聞いて初めて知った。田中真紀子のお陰で「伏魔殿」というタームそれ自体は知っていたものの、魔物が伏せっている「ふしまでん」だと思っていた。まあ「ふしまどの」でなかっただけマシだと抗弁しておきたい。。。活字媒体では、「漢字」の読みがわからなくても間違っていてもルビがふっていない限り気付かないのだ。そう考えると、「音」というのは大事なのだなあ、と思う。テレビもあながちバカにはできませんね、てお前がバカだったっつうただそれだけの話だよ、て言われてしまうかもですが。

暗澹たる気持ちは深まるばかりです

「年金未納」なる葉書が突然届きまして、慌てふためいて社会保険庁へ。「学生で払う金ナス、申請きちんと出したが返事来なかった」と説明したところ、どうやら書類が区役所あたりで止まっているようで処理が進んでないと。これから急いで取り寄せるから安心して待っててね、とのことでした、ふぃー。あの悪名高い社会保険庁やけ、どんな理不尽なこと言われるやら。。。とびくびくしていたが、迅速かつ丁寧な対応をしていただけてよかったです。あの、ほんと一般の職員の方に賞与を自主的に返納させるこたないと思います、返すのは幹部(元社会保険庁長官的某最高裁判事は返したのか???)だけでよいのではないかと。

戻ってきたさまざまな評価物が思いのほか良くなくて、最近気持ちが沈んでしまいます。

何故落ち込むのか、その原因を考えてみると、自分の身の丈に合わない「理想図」を頭に描きすぎていて、それが自分の現実の姿と本当はかけ離れ過ぎているのだということをズバリ指摘されてしまったと、ただそれだけの話で、Gapを解消するためには、「身の丈に合った」セルフイメージを持つようにするか、あるいは「理想図」を目指して頑張りまくるか、どちらかなんでしょう。

某原稿作成も思うようには進みません(前回評して頂いたのはあくまでアジェンダセッティングの段階であって、詳細な内容についてはまだまだこれからです)が、これも同じで、頭の中に「理想図」を描くことはできても、現実には「身の丈に合った」ことしか書けそうにありません。「身の丈に合った」ことを精一杯書きつつ、いかに節々に「理想図」を盛り込むか、そこが正念場になってくるのかもしれません。これも既に言われていたことだった気もしますが。

(追記)
法研からへろへろしながら出て自転車の方へ向かったところ
「ちょっとすみません。あなた、法研の方ですか?」
と、初老のおじいさんが声をかけてくるではありませんか。
大学周辺には、なんだか得体が知れないけど居着いているおじいさん、おばあさんが結構いるんだよね。おそらく休日で学生証がないと外からは入れなくなってるから扉を開けてほしいのだろうけど。。。あやすぃ。
と、わたしが訝しがっているのに気づいたのか、身分証を見せてくださるではないですか。そこには

「金子 宏」

と書いてございました。。。。。。。

逃避の果てに・ある光

田中亘「ブルドックソース事件の法的検討」 商事法務1809,1810 がとても面白い。

「また本件を通じて、日ごろは会社法の事件をそれほど取り扱っているわけではない裁判所(しかも上級審にいけばいくほどそうなる)が、きわめて短期間のうちに防衛策の適否について判断を求められるという、我が国の買収法制の形成プロセスの限界も垣間みえたように思われる」
敵対的買収をめぐる法律論には、政策論議が欠かせない。裁判所が間違った政策論を語るのはもちろん困るが、さりとてそうした政策論を抜きにして、裁判所が淡々と「法解釈」を語り、法律家はその「射程」を検討するといった営みだけで、よりよい世の中が実現することも考えにくい。本稿は…判例評釈のセオリーには反するのであろうが、筆者としては、政策論議を抜きにしては一事件の評価も満足にできないと考えた結果である。」

私は、「法曹は解釈はできても政策はできない」という意見には反対なので、(指導担当の某せんせからいただいた)「法の再構築1 国家と社会」に収録されとる中東せんせの見解にはにわかに同意できないけれども、ブルドック高裁決定には考えさせられた。そして田中せんせの政策論議的評釈。興味深く思うのと同時に、法律家の役割につき考えさせられる。

(追記)
私が前回引用した田中亘せんせの論文、磯崎せんせが既に引用してコメントされてました><

市場経済」と「法律学者」
http://www.tez.com/blog/archives/001000.html
…商事法務を読んで目頭が熱くなったのは初めてであります。

私、かねがね、法律専門家の方の話を第三者的に聞いていて、「それは解釈論じゃなくて立法論ですよね?」といった議論が展開されるのを非常に奇異に感じていたんです。
それで、「よい世の中が実現する」わけがない。

上述のとおり、今は市場経済を推進すべきフェーズですが、それだからこそまさに、市場メカニズムに巻き込まれず、立法・行政・司法といった三すくみの渦の中にも入っておらず、しかも匿名でもない、「学者の方のしっかりした意見」が非常に重要になるのだと思います。


「よりよい世の中の実現」・・・法律家の役割がこれでなくて何と言えるのでしょう!!

静かな感動

終わってしまえばすべてが夢のようだ。最終日に課題発表会。こんなもんでいいかな、と甘く考えてプレゼンを開始したら厳しい突っ込みを次々と浴びせられてへろへろに。途中何度も泣きそうになりながらしかし最後までやり遂げる。

その時は自分の失敗に落ち込んで消え入りたいぐらいだったけれど、今になって後から後から静かな感動が込み上げてきた。私は事後的に課題となったスキームを「解読」しただけだったのだけど(そしてそれすら助けをかりなければ満足にできなかったわけなのだけれど)、それを「解読」し終わった今、ここの人々はゼロからそれを作り上げたのか、とただただ恐れ入るばかりだ。まさに「知恵の結晶」、そして「アート」の領域。そしてそれがDealを動かしていくのか、と。

この「知恵の結晶」に触れることができたこと、そしてそれを考え抜いて作り出した先生方に出会えたことを、自分の財産にしよう。それを大切にして、次のステップに進もう。

★☆書けないお悩み・解決します☆★

「書けない・書けない」と泡を吹いていた段階から「書ける・書けそう」とややマシな段階へシフト。悩みの根源は、自分の能力の限界を直視することの怖さから来ているのだろう。そんなとき発見した↓これはすごい

1文字5円、卒論に代行業者…大学は「見つけたら除籍」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070818i111.htm

大学の卒業論文やリポートの執筆を有料で請け負う代行業者が登場し、波紋を広げている。

 学生がインターネット上で見つけた資料をリポートなどに引き写す「コピー&ペースト」が教育現場で問題となっているが、これを上回る究極の「丸投げ」で、文部科学省は「事実とすれば、到底認められない行為」としている。

 ネット検索大手のグーグルも、「こうした代行は不正行為にあたる」と判断、代行業者のネット上の広告掲載を禁止する措置に踏み切った。

 「国立大の学生・院生を中心としたチームなので安心の品質」「6年で740件の代行実績」。ある代行業者のホームページ(HP)には、そんなうたい文句が並ぶ。別の業者のHPは「社員は学生時代に必要最低限の勉強量で優やAを取ってきた精鋭ぞろい」とアピールしている。

 料金は1文字5円程度。納期は卒論で1週間以上、リポートでは2、3日以上が多い。テーマや内容、分量、納期などを指定のメールアドレスに送り、その後のやりとりで合意すると正式契約となる仕組みだ。こうした業者のHPはネット上で少なくとも三つ確認されたが、個人レベルで請け負っているケースもあると見られる。

 このうち、昨年4月から事業を始めた業者が読売新聞の取材に応じた。これまでに300件近い問い合わせを受け、実際に100件以上を請け負ったという。2万字程度のリポートで10万円、発表会のための個別指導を含む卒論執筆だと35万円からという料金設定にしている。

 事業を取り仕切る20歳代の男性は「もともと大学院の入試対策を有料で行うつもりだったが、依頼の大半は卒論やリポートの代行だった」と明かす。法律関係が依頼の半分近くを占め、文学、経済関係も多い。理系では物理や化学は皆無で、情報科学の依頼が数件ある程度。これまでに、「単位が取得できなかった」「発覚してしまった」という苦情は寄せられていない。

 「卒論を3日で仕上げてくれ」など、安易に代行を頼む学生もいるが、この男性は「依頼者の多くは、教員に放任扱いされ、課題にどう対処すべきか悩んでいる。我々がやっているのは、最後の駆け込み寺のようなもの」と主張している。

 これに対し、この業者のHPをネット上で見つけた京都府立大の川瀬貴也准教授は、今年1月、「あなたたちのしていることは犯罪。即刻やめるべきだ」というメールを送った。「『卒論を代わりに書く』という商売があるとは、とんでもない話。発覚すれば、学生の単位を取り消すどころか除籍処分ものだ」と憤る。

 文部科学省大学振興課も「いかなる理由があろうと、他人に卒論やリポートを書いてもらうことは、常識からも認められない」との見解だ。ただ、大学側からの事例報告などがないため、当面は調査などはせず、様子を見守るという。

 一方、検索大手のグーグルは今年5月、卒論代行業者の広告掲載を禁止した。検索語と関連するウエブサイトが広告として掲載される機能で、今回の禁止措置について、グーグル広報部は「情報提供や執筆のサポートではなく、全部を代行するというのは、不正行為にあたると判断したため」と説明している。
(2007年8月18日16時14分 読売新聞)

代行業者の行為自体がどういう犯罪に当たるのかよくわからんのだが、私文書偽造、てことだろうか(そして依頼者が教唆か共同正犯か)。それはさておき、「代わりに書く」なんて組織的にやったから大学側に発覚したようなもので、それが業者として発展するまでに多数の個人的依頼がありニーズが確認されたからこそ大々的に宣伝を打って募集をしたのだろう。「剽窃」なら教員側にもわかるだろうが、代行執筆では、よほどその教員が学生のことを知っているか、そして口頭試問を経るかでもしないと発覚しようがないのではないか。

しかも記事によると法律関係の依頼が半分近くを占めるという。法科大学院のレポートか笑。しかし一文字5円というのは決して安くはない気がする。1万字なら5万、10万字なら50万、そこが問題の本質ではないとは思うが、自分がそんなに高いお金を払うくらいならまだ自分で駄目駄目レポートを提出した方がましだ。しかし、依頼者側のニーズがどこから来てるのか、「書く時間がもったないから」なのか(依頼者に法科大学院生が含まれているのならば十分あり得る話だ。金を投げても時間を作りたい)、本当に「書けない」からなのか、「書けない」のレベルが「単位が来ないくらいにヤバい」からなのか、「単位が来るであろうレベルのものを書けるには書けるが良いものが書けない」からなのか(もっとも後者の場合「良いものが書けないなら単位を放棄する」くらいまで追いつめられることもある)。

後者の「書けない」悩みに苛まれて随分と経つ。「書く」という作業が孤独な作業であり、自分の能力の限界と否応なしに向き合わねばならないからだろうか。記者時代からそうであったが、自分は「逃避」癖が抜けない。自分の能力が形になってしまい、客観的に評価されることの怖さから来ているのではないかと何となく思っている。

しかし記事中に出てくるような学生はそういう悩みではなくて、「社員は学生時代に必要最低限の勉強量で優やAを取ってきた精鋭ぞろい」とあることからも、何かしら「要領がよい」のか、あるいは「自分の能力に限界があるということを既に直視し、しかも諦めきっている」(格差と諦め)ということなのではないか。

そういえばAERA2007年8月6日号に
「ユルい中高一貫出身が増殖する 官僚、企業で中枢を占め始めた/大橋未歩寺脇研らが語る」
とかいう記事が載っていた。中高一貫に通っていると「要領がよくなる」と。「周囲ができる人ばかりだから、それを役立てる人間関係づくりは得意」だの、「失敗経験がないからなんでもできる、どうにかなる、みたいな全能感がある」だの、そういう「ユルい」中高一貫卒が有名大学に難なく合格し「官僚、企業で中枢を占め始めた」と、そういう趣旨の記事であったか。(同じく中高一貫卒の自分から見ると、当てはまる部分もあればそうでない部分もあるのだが所詮AERA記事。)

自分にはどうも論文代行執筆も大学に入学した時からキャンパスにあふれていた「要領のよさ」の一側面にしか見えない。そしてそれは、本当に「書けない」と思い悩む人の悩みを解決しない。

逃げてはいけない、そして認識しなければならない、そして向き合い努力しなければならない。安易に言ってしまえばそういうことなのだろう。

景観を保護するということ=異質なるものを排除するということ

騒音・日照の問題ではなく、景観を享受する権利のみを純粋に保護しようとすることは私的財産権の制限を不可避的に伴う。なるほど、「環境権」なる概念を憲法上用意してみたところで、結局は権利間の複雑な調整を行うプロセスを省略できないのであって、それは何ら切れ味の鋭い切り札なり問題解決策になりようがないということがよくわかる。

楳図かずおさん宅、外観異様と近隣住民が建築差し止め申請
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070801i513.htm
 「まことちゃん」などの作品で知られる漫画家の楳図(うめず)かずおさん(70)が、東京都武蔵野市内に建築中の自宅を巡り、近隣住民2人が「異様な外観で、閑静な住宅街の景観が破壊される」として、楳図さんと建築会社を相手取り、建築差し止めの仮処分を東京地裁に申し立てていたことが分かった。

 申し立ては先月12日付。

 申立書によると、建築中の自宅は2階建てで、建物の外壁に約60センチ・メートル間隔で赤と白の横じまの塗装を施し、屋根には「まことちゃん」を模したデザインの像が設置される予定という。住民側は「常軌を逸した構造で、そのような不快な建物のそばで暮らすのは苦痛だ」と主張している。

 これに対し、楳図さんの代理人は「コメントできない」としている。
(2007年8月1日21時18分 読売新聞)

楳図かずおさん宅建築差し止めで審尋、双方の主張聞く
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070803i417.htm
 「まことちゃん」などの作品で知られる漫画家の楳図(うめず)かずおさん(70)が東京都内に建築中の自宅を巡り、近隣住民2人が建築差し止めを求めた仮処分の申し立てについて、東京地裁は3日、双方当事者の主張を聞く審尋を開いた。
 楳図さん側の代理人は、「建物の色彩やデザインは、近隣住民のいかなる権利も侵害しない」と主張し、申し立ての却下を求めた。
 審尋は約1時間、非公開で行われた。住民側代理人の長谷川健弁護士によると、楳図さん側は建物の完成予想図を提出。赤と白の横じまのデザインを認めたが、屋根に設置するのは「まことちゃん」の像ではないと主張したという。長谷川弁護士は「屋根に設置されるのは別のキャラクター『マッチョメマン』を模した塔の可能性が高いが、異様な外観に変わりはない」と訴えている。
(2007年8月4日1時16分 読売新聞)

赤と白のストライプは楳図氏のトレードマークでありこのデザインの家を建築するのが長年の夢だという。それを「耐えられない」として差し止めを申請する住民がいる。一方で「別に構わないのでは?」という住民もいる。私の個人的な直観では後者なので、どうもこの問題を、「人よりもセンシティブでナイーブな感覚を持つ人にどれだけ譲ってあげるべきなのか?」と構成したくなってくる。そうすると自衛官合祀訴訟の最高裁判決が思いつく。

「私人相互間において憲法二〇条一項前段及び同条二項によって保障される信教の自由の侵害があり、その態様、程度が社会的に許容し得る限度を超えるときは、場合によっては、私的自治に対する一般的制限規定である民法一条、九〇条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によって、法的保護が図られるべきである…。しかし、人が自己の信仰生活の静謐を他者の宗教上の行為によって害されたとし、そのことに不快の感情を持ち、そのようなことがないよう望むことのあるのは、その心情として当然であるとしても、かかる宗教上の感情を被侵害利益として、直ちに損害賠償を請求し、又は差止めを請求するなどの法的救済を求めることができるとするならば、かえって相手方の信教の自由を妨げる結果となるに至ることは、見易いところである。信教の自由の保障は、何人も自己の信仰と相容れない信仰をもつ者の信仰に基づく行為に対して、それが強制や不利益の付与を伴うことにより自己の信教の自由を妨害するものでない限り寛容であることを要請しているものというべきである。

ウィーンへ行ったとき、芸術家Hundertwasserの美術館へ行ったが、彼のデザインした建物はかなりの奇抜であったにも関わらずとても街になじんでいたように思ったし、また観光地としてたくさんの観光客が訪れていた。
↓写真がきれいなので引用させてもらおう
http://www.geocities.jp/heuriger2005/tourismus/kunsthaus.html
楳図氏の建物はこういう名所のように許容されないのだろうか。あるいはウィーンのこういうデザインの建物だって日本に作ろうとすれば「耐えられない」と言う人は出て来るかもしれないし、ではどのようなデザインの建物なら許容し得るのか?その基準は「センシティブな人の感覚」かあるいは「(裁判官が判断するところの)社会通念なり通常一般人の感覚」か。

テレビを見ると「井の頭公園付近の静謐な住宅街に周囲と調和しない奇抜なデザインの建物を立てること、また話題になってたくさん人が押し掛ける迷惑を考えないのか」だの「諸外国と異なり建物の色などについては日本は規制が進んでない」とかそういう(楳図氏の建物建築に批判的な)コメントが見られる。そうするともうリーガルな問題というより単なる道義的な問題か、あるいは政策的な問題なのかもしれない。

そういえば、国立マンション訴訟の市村判決に非常に印象的なフレーズがある。

景観は,通りすがりの人にとっては一方的に享受するだけの利益にすぎないが,ある特定の景観を構成する主要な要素の一つが建築物である場合,これを構成している空間内に居住する者や建築物を有する者などのその空間の利用者が,その景観を享受するためには,自らがその景観を維持しなければならないという関係に立っている。しかも,このような場合には,その景観を構成する空間の利用者の誰かが,景観を維持するためのルールを守らなければ,当該景観は直ちに破壊される可能性が高く,その景観を構成する空間の利用者全員が相互にその景観を維持・尊重し合う関係に立たない限り,景観の利益は継続的に享受することができないという性質を有している。すなわち,このような場合,景観は,景観を構成する空間を現に利用している者全員が遵守して初めてその維持が可能になるのであって,景観には,景観を構成する空間利用者の共同意識に強く依存せざるを得ないという特質がある。
 …これら本件高さ制限地区の地権者は,大学通りの景観を構成する空間の利用者であり,このような景観に関して,上記の高さ規制を守り,自らの財産権制限を受忍することによって,前記のような大学通りの具体的な景観に対する利益を享受するという互換的利害関係を有していること,一人でも規制に反する者がいると,景観は容易に破壊されてしまうために,規制を受ける者が景観を維持する意欲を失い,景観破壊が促進される結果を生じ易く,規制を受ける者の景観に対する利益を十分に保護しなければ,景観の維持という公益目的の達成自体が困難になるというべきであることなどを考慮すると,本件建築条例及び建築基準法68条の2は,大学通りという特定の景観の維持を図るという公益目的を実現するとともに,本件建築条例によって直接規制を受ける対象者である高さ制限地区地権者の,前記のような内容の大学通りという特定の景観を享受する利益については,個々人の個別的利益としても保護すべきものとする趣旨を含むものと解すべきである。

これは行政訴訟であるからして民事差し止めとは異なるけれども、景観が共同意識により支えられるということが言われている。逆に言うと、その「共同意識」は異質なるものを排除する力を持つということだ。別にそのことに対するネガティブな評価を表明したかったというわけでも、また深いリサーチをしたわけではないので本件で裁判所がどう判断するかという法律的コメントをしたつもりもないが、街づくりなり環境・景観の保護なり言うときの裏面を見た気がした、というただそれだけの話である。

まいにちあいすでめたぼよびぐん

雨が降るけ、学校行くのめんどくさか、と朝:クリエ→昼:スタバ→夕:エクセル、と飲食店めぐりをしていたらクーラーにやられました。ぶるぶる。

「メタボ副大臣」も落選しているではないか、ということに気付く。

http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/metabo/index.html
どうやら半年で目標を達成されていたようだ。

○体重は、6ヶ月間で7.3kg減りました(目標は目標−5kg)
○腹囲は、6ヶ月間で5.5cm減りました(目標は−5cm)

→間食や甘い飲み物を控えることは意外とできる。菓子は食べずにはいられない。ショートケーキは我慢できずに食べてしまった。
→食事の量を減らしたら力が出ない。管理栄養士さんのアドバイスで間食にリンゴを1個食べることにした。
→甘い飲み物に関しては、完全にやめることができたと実感している。菓子類はどうしても我慢できない。毎日食べてしまう時もある。
→3食以外の夜食を食べないことが定着した。お腹が空いたかなと思っても我慢して寝る。
→多少バテ気味。思わず肉や炒め物、揚げ物をしっかり食べてしまった。
→飲み物を甘くしなくても全くストレスを感じなくなった。
→昼にざるそばを食べる時は、管理栄養士さんのアドバイスで野菜の小鉢を付けるようになった。
→夕方空腹の時は、果物(イチゴ6粒かりんご半分)食べると落ち着く。一番辛いのは食べないこと!
→寝る前に冷蔵庫をあけてしまうが食べないで水を飲んで寝る。
→食事はしっかり食べたけど体重が増えないのは野菜中心にしたからかな。

医師会の組織票も役に立たなかったのか。

たけみ敬三後援会活動 後援会会員獲得活動に全力を
http://www.nichiiren.jp/news/070425_01.html
日本医師連盟という政治団体としてみた場合、その団体の力は、会員の皆さんがどの程度の力をもっているか、換言すれば、当該組織の推薦議員(たけみ敬三参議院議員)の選挙において、どの程度の集票力を有しているのかということにかかっているのである。その意味において、まずは「たけみ敬三後援会会員獲得活動」に全力で対応していただかなければならない。

どうか落選ストレスでやけ食いされないように。。。(もっとも、国家行政組織法をちらと見る限り副大臣は国会議員であることが要件というわけではなさそうなのだが。てか大臣の過半数議員要件は憲法マターだったのか的な認識を今更www)

岡山については、「姫の虎退治」ということだったらしい。

http://www2.asahi.com/senkyo2007/news/OSK200707300071.html
岡山と島根の牙城崩した2人の「姫」 一夜明け街頭へ
参院選の焦点だった岡山、島根両選挙区を制したのは2人の「姫」――。民主党姫井由美子氏(48)と旧津和野藩主の子孫でもある国民新党亀井亜紀子氏(42)は、新鮮なイメージで知名度不足の不利をはね返し、年金記録問題や閣僚の失言などの「逆風」に立ち往生する自民党の重鎮らの牙城(がじょう)を崩した。

…1カ月前までは人気のない畑や通過する車に向かって街頭演説をする毎日。だが、「姫の虎退治」のキャッチフレーズを前面に押しだし、逆風をもろに受けた片山氏を追い込んだ。

選挙運動中、姫井氏に同行した江田五月参院議員は「相手が『超大物』であるがゆえに、安倍内閣への不信の受け皿になれた」と分析した。


業界団体だけでは、選挙は乗り切れないということか。

http://www.asahi.com/politics/update/0730/TKY200707300393.html
「新・郵政族のドン」片山氏落選で通信・放送業界に波紋

2007年07月30日22時05分

「新・郵政族のドン」と呼ばれるほどの影響力をもつ片山虎之助自民党参院幹事長が参院選(岡山選挙区)で落選し、通信・放送業界に波紋が広がっている。NHK改革などで業界への厳しい姿勢を続けてきた竹中前総務相、菅総務相の路線に対抗するため、片山氏が頼みの調整役だったからだ。自民党内に「後継者」が見当たらず、業界内には「民主党にも働きかけよう」という声が出始めている。 

通常国会で継続審議となった放送法改正案の提出前、菅総務相はNHKの受信料義務化について「受信料2割値下げとセット」との方針を打ち出した。NHKは「とても取り得ない」(橋本元一会長)と抵抗。これを調停したのが片山氏だ。橋本会長を国会の一室に呼び出して調整。菅総務相は結局、改正案への盛り込みを見送った。

片山氏は「いろんな圧力のガス抜き役、防波堤」(NHK関係者)だった。NHKが9月に策定する経営計画に向けて値下げ論議が再燃しつつあるだけに、防波堤を失ったNHK幹部は「菅総務相と直接話し合うしかない」と不安げだ。